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【第2回】地図に残された「こだま」の軌跡 四日市の名物シェフとなった元従業員との出会い  

JR四日市駅2階に残る旧レストラン「こだま」の跡
かつてレストラン「こだま」だった駅2階を見上げる

【連載第1回のあらすじ】

JR四日市駅無人化の報をきっかけに、駅の変遷をたどる連載企画。
2027年3月に予定される無人化を前に、近鉄四日市駅との対比からJR四日市駅の現状を見つめ、駅2階で営業していたレストラン「こだま」について、地域の人々への聞き取りをもとに、その存在を紹介した。

断片的な証言をよりどころにして、新年度の慌ただしさが落ち着き始めた4月半ばのある日、私は四日市市立図書館に向かった――。

目次

地図の中に残る「こだま」

まず確かめたかったのは、「こだま」がいつからいつまで存在していたのか。そして証言に出てきた「八千代台にもあった」「ニューポートやろ?」という話は何だったのかである。

四日市市立図書館には、三重県北勢地域を中心とした市町村のゼンリン住宅地図が所蔵されている。四日市市については、市街地を流れる三滝川を境に「北部(三滝川以北)」と「南部(三滝川以南)」に分冊されており、一番古いものが北部では1967年度版、南部は1968年度版である。

今回は30年以上前に営業していたレストランを調べるのだから、該当しそうな年の版をすべて見ていくしかない。ところが、ここで一つ壁にぶつかった。

同館所蔵の「四日市市南部」の住宅地図は、1968年度版の次が1978年度版となっており、その間10年の記録が確認できないのである。

1968年度版では「国鉄四日市駅」とのみ記載されており、駅舎内の店舗名は確認できなかった。ただし、当時から店舗が存在しなかったのか、それとも住宅地図上で省略されていたのか、これだけでは分からない。

次に確認できる1978年度版を開くと、駅舎2階部分に「食堂こだま」の文字が現れた。

さらに調べていく。1986年度版では「2F食堂こだま」。1992年度版では「2Fステーキこだま」。
1994年度版では「2Fレストランこだま」となっていた。住宅地図からは、少なくとも1978年から1994年まで、「こだま」が営業していたことが確認できた。

JR四日市駅2階に残る旧レストラン「こだま」の板張りされた入口
板を張られ閉ざされた店舗入口部分

「ニューポート」現る

1995年度版になると、駅の住所地から「こだま」の名前が消えている。翌1996年度版、同じ場所に出現したのが、「レストランニューポート」だった。聞き取りの中で出てきた「ニューポートやろ?」という言葉の意味が、ここでつながった。

「ニューポート」は、四日市市宮東町で現在も営業を続ける洋食レストランだ。同店の会社概要によると、1956年に四日市港近くの千歳町で創業。港湾で働く人たちの憩いの場として店を開いたという。

一方、会社概要や店舗情報には、JR四日市駅2階で営業していたことを示す記載は見当たらなかった。しかし、住宅地図では1996年度版から1999年度版まで、駅舎2階に「レストランニューポート」の表記が確認できる。後の取材で、駅2階の「レストランニューポート」は、宮東町の「ニューポート」が運営していた店舗であることが分かった。2000年度版以降は表記がなくなることから、駅での営業は1999年以降に終了したとみられる。

四日市市宮東町にある洋食レストラン「ニューポート塩浜店」の外観
「ニューポート塩浜店」(本社)外観

八千代台にあった「こだま山荘」

次は、「八千代台にもあった」という証言の裏付けだ。

今度はゼンリン住宅地図「四日市市北部」を手に取る。八千代台周辺を確認すると、1967年度版、1968年度版には「八千代台」の地名自体が見当たらない。どうやら団地造成前だったようだ。

1976年度版になると、八千代台一丁目に「レストランさんぎロッジ」の表記が現れる。住宅地が広がる一帯で、その文字は妙に目を引いた。ほかに目につく施設といえばゴルフ場くらいだったからだ。

さらに1978年度版を開くと、同じ場所の表記が変わっていた。

「ホテルレストラン こだま山荘」。

以後、1995年度版までその名前が続き、1996年度版になると、こちらも姿を消していた。駅の「こだま」が住宅地図から消えた時期と、ほぼ重なる。

偶然なのだろうか。それとも両者には何らかの関係があったのだろうか。少なくとも、これまでの調査によって、証言の輪郭はかなりはっきりしてきた。

四日市市八千代台の、現在は更地となっている「こだま山荘」跡地
「こだま山荘」跡地。三岐鉄道の管理地となっている

駅2階を知る四日市の名物シェフ

そんな折だった。

取材協力者の1人から、「昔、駅の『こだま』で5年間働いていた人がいる」と連絡を受けた。

紹介されたのは、四日市市文化会館内のレストラン「グリル四日市」のオーナーシェフ、丹羽則夫さん(68)だ。17歳で「こだま」に入り、厨房に立っていたという。

住宅地図の上で追いかけていた店の名前が、突然、生身の人物につながった瞬間だった。

「最近、石川県に3回行ってきたんや。豪雨の被災地で、とんてきライスバーガーを作って、売り上げは全部、商店街に置いてきた」。初めて話した電話口で、丹羽さんは近況をそう語った。

シェフ姿の丹羽則夫さん
シェフ姿の丹羽則夫さん=丹羽さん提供

丹羽さんは、四日市のソウルフード「四日市とんてき」の普及活動にも長年関わってきた人物である。

きっかけは、2010年に「四日市とんてき協会」が初めて「B-1グランプリ」に出場した後のことだった。他地域の熱量や演出力に圧倒され、段取りの失敗などに悔しさをにじませる関係者たちの反省会が、「グリル四日市」で開かれたという。その様子を見ていた丹羽さんは、「次からは俺も行って焼いたる」と声をかけ、自ら活動に加わった。

以来、「四日市とんてき」の知名度向上を支える1人として、県内外のイベントに参加。被災地支援にも足を運ぶなど、四日市の食文化を発信し続けている。

そんな丹羽さんが語る「こだま」は、私が想像していた「駅の食堂」「街の洋食店」というイメージとは、少しばかり違うものだった。

「昭和30年代のことやで。まだ、四日市に洋食レストランなんてほとんどなかった頃から、『こだま』はね、高級ステーキを出す店やったんや」。

昭和30年代――。JR四日市駅の現駅舎が完成したのは1960(昭和35)年だ。「こだま」は駅舎の完成と同時にオープンしたのではないか。そんな考えが頭をよぎった。

住宅地図だけでは見えてこなかった駅2階のレストランの実像が、少しずつ見え始めた。

「『こだま』が営業していた当時のお店のお写真など、お持ちではありませんか?」。
そう尋ねると、丹羽さんは「探して、また連絡するよ」と快く応じてくれた。《続く》

JR四日市駅2階に残る旧レストラン「こだま」の跡

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