2026年2月、JR東海は、関西本線四日市駅に「お客様サポートサービス」を導入すると発表した。開始は2027年3月ごろ。遠隔対応型システムの導入に伴い、切符売り場の窓口は廃止され、三重県内最大規模・人口30万人を擁する四日市市の名を冠する駅はついに無人化される。
無人化される街の玄関口
「ついに」――と書いた。というのも、現在のJR四日市駅周辺は、近鉄四日市駅周辺と比べると人も店舗も少なく、明らかに閑散としているからだ。同駅前を多くの人が往来し、活気があった頃を知る人も、徐々に少なくなりつつある。
一方で、旅客利用が減った現在も、駅東側の貨物線では、セメントや石油、化学薬品などを運ぶ多くの専用貨物列車が行き交っている。人の流れは変わっても、この駅が産業都市・四日市を支える物流拠点であり続けていることに変わりはない。


中心駅ではない「四日市駅」
そもそも、同駅の正式名称は「四日市駅」である。しかし、悲しいかなその名を聞けば、多くの地元民は「近鉄四日市駅」を思い浮かべてしまう。なので、同駅はわざわざ頭に「JR」を付けて「JR四日市駅」と呼ばれるのだ。四日市市立小学校3.4年生の社会科副読本「のびゆく四日市」の中でさえ「JR四日市駅」と書かれている。でないとわかりにくいのだから、仕方がない。
「ここが市の中心地」と思って、同駅に降り立つ県外からの旅行者は少なくない。彼らは皆一様に、この寂しい景色を前にして途方に暮れる。そして四日市の中心市街地は、ここから1キロあまり西側の近鉄四日市駅周辺だと知り、驚く。
タクシー……いない。


利用者は近鉄四日市駅の1/10
10年前には、閉鎖時間を挟みながらも早朝から22時まで営業していた窓口だが、2026年5月現在の営業時間は7時から20時。
令和8年刊「三重県統計書」によると、2024年の近鉄四日市駅の1日平均乗車人員22300人に対して、JR四日市駅では2304人で、約10分の1となっている。
運営効率化の観点からは、無人化への舵切りはやむを得ないことかもしれない。


閉ざされた2階への階段
1960(昭和35)年に完成した鉄筋コンクリート地上2階建て、総面積2218平方メートルの駅舎は、戦後の公共建築らしい簡素で合理的な外観を見せる。高度経済成長期の空気を残したまま、時間だけが過ぎたような佇まいだ。
だだっ広い1階コンコースの東側に「こにゅうどうレンタサイクル」(2010年~通年営業)、改札を挟んだ西側には「シルバー人材センター サテライトオフィス」(2018年~)があるが、人の姿はまばらだ。
ところで以前から、駅構内に気になっていた場所がある。レンタサイクルの上階部分へと続く階段だ。ただし、柵で閉鎖され、立ち入ることはできない。レトロな木枠のガラス扉の棚、その奥にクラシックな石造りの壁が見える。


消えたレストラン「こだま」
ネットで調べると、レストランだったとわかった。店名は「こだま」。駅舎の外観から想像するに、相当な広さがあるはずだ。外から撮影した窓枠の中に、カーテンや照明器具がそのままになっていることがうかがえる。
今の駅を利用する人の中で、閉ざされた2階部分がレストランだったと知る人は、どれくらいいるのだろうか。かつてこの駅ににぎわいがあった頃、人々はこの階段を上り、食事をし、窓から駅前を眺めていたはずだ。


曖昧な記憶をたどる
そこで、地元で長く暮らしてきた年配の人たちを中心に、「レストランこだま」を知っているか、行ったことがあるか、どんな店だったか、何を食べたか――などを聞いて回った。
――「小学校低学年の時(1977~78頃)に行ったような」。
――「何度か利用したと思う。商店街の総会を開催したときもあった」。
――「30年以上前、子供会で行った」。
――「エビフライやね」。
――「八千代台にもあった」。
――「子どものころ何度か。オムライスやチキンライスを食べたような」。
――「ニューポートやろ?」。
――「懐かしいな、レストランこだま。就職した時の歓迎会がありました。食べたのは……あれ?ステーキだったかな?豚の生姜焼きやったような気もする」。
――「あまりよく思い出せないが、尾鷲に行くとき、待ち時間に利用した気がする。メニューサンプルがあったりして、百貨店のレストランのような雰囲気だったかな?」。
――「何かの会合の申し込みで行ったような。階段上がった。今思い出そうとすると記憶をでっちあげてしまいそう。ハンバーグとか洋食系?衝立、植栽があった。駅の待合室が見下ろせた」。
はっきりと覚えている人は、ほとんどいなかった。それだけ長い時間が過ぎたということなのだろう。
「こだま」を追って図書館へ
断片的な証言をよりどころにして、新年度の慌ただしさが落ち着き始めた4月半ばのある日、私は図書館に腰を落ち着けた。
まずは、「こだま」がいつまで存在していたのか。
そして証言に出てきた「八千代台にもあった」と「ニューポートやろ?」という話は何なのか。
何冊ものゼンリン住宅地図を積み上げ、めくりながら、その痕跡を追っていく。
思えばこれが、長い調査の道のりの始まりだった。《続く》


